デカルトの激情論は名高いわりに

デカルトの激情論は名高いわりに面白くない本であるが、

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崇敬とはわれに益するところあらむと願望する情の謂いである。

としてあったものだ。

デカルトあながちぼんくらじゃないと思ったのだが、
羞恥とはわれに益するところあらむと願望する情の謂いである。

私に、
何が出来るでしょう。

私は戦地へ行きたい。

嘘の無い感動を捜しに。

私は真剣であります。

もっと若くて、
この脚気という病気さえ無かったら、
私は、
とうに志願しています。

私は行きづまってしまいました。

具体的な理由は、
申し上げません。

ニキビ誠実にこの鴎外全集を編纂なされて居られるようですが、
如何にせんドイツ語ばかりは苦手の御様子で、
その点では、
失礼ながら私と五十歩百歩の無学者のようであります。

なんにも解説して居りません。

これがまた小島氏の謙遜の御態度であることは明らかで、
へんに書見いたそうか式の学者の態度をおとりにならないところに、
この編纂者のよさもあるのですが、
やはり、
ちょっと字典でも調べて原作者の人となりを伝えて下さったほうが、
私のような不勉強家には、
何かと便利なように思われます。

家を出る時でも、
編上靴のように、
永いこと玄関にしゃがんで愚図愚図している必要がない。

すぽり、
すぽりと足を突込んで、
そのまますぐに出発できる。

脱ぎ捨てる時も、
ズボンのポケットに両手をつっこんだままで、
軽く虚空を蹴ると、
すぽりと抜ける。

黒にんにくhttp://shoes20.cscblog.jp/