虚栄の市の誇りもここにある

虚栄の市の誇りもここにあるのだ。この市に集うもの、

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すべて、
むさぼりくらうこと豚のごとく、
さかんなること狒狒のごとく、
凡そわれに益するところあらむと願望するの情、
この市に住むものたちより強きはない。

しかるにまた、
献身、
謙譲、
義侠のふうをてらい、
鳳凰、
極楽鳥の秀抜、
華麗を装わむとするの情、
この市に住むものたちより激しきはないのである。

先生(と意外にも書いてしまいましたから、
大切にして、
消さずに、
そのまま残して置きます。

)御自愛を祈ります。

敬具。

六月十日木戸一郎井原退蔵様拝復。

先日は、
短篇集とお手紙を戴きました。

御礼おくれて申しわけありませんでした。

ニキビつまり、
こういうことになります。

女の決闘の作者、
HERBERTEULENBERGは、
十九世紀後半のドイツの作家、
あまり有名でない。

日本のドイツ文学の教授も、
字典を引かなければ、
その名を知る能わず、
むかし森鴎外が、
かれの不思議の才能を愛して、
その短篇、
塔の上の鶏および女の決闘を訳述せり。

細工の大きい男は、
それだけ、
人一倍の修業が必要のようである。

自分では、
人生の片隅に、
つつましく控えているつもりなのに、
人は、
なかなかそれを認めてくれない。

やけくそで、
いっそ林銑十郎閣下のような大鬚を生やしてみようかとさえ思う事もあるのだが、
けれども、
いまの此の、
六畳四畳半三畳きりの小さい家の中で、
鬚ばかり立派な大男が、
うろうろしているのは、
いかにも奇怪なものらしいから、
それも断念せざるを得ない。