もの思う葦という題名にて

もの思う葦という題名にて、日本浪曼派の

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機関雑誌におよそ一箇年ほどつづけて書かせてもらおうと思いたったのには、
次のような理由がある。

生きて居ようと思ったから。

私は生業につとめなければいけないではないか。

簡単な理由なんだ。

華厳は、
よかった。

今月、
文学月報に発表された短篇小説を拝見して、
もう、
どうしてもじっとして居られず、
二十年間の、
謂わば、
まあ、
秘めた思いを、
骨折って、
どもりどもり書き綴りました。

失礼ではあっても、
どうか、
怒らないで下さい。

ニキビ労働KARLSCHOENHERR二人共若くて丈夫である。

男はカスパル、
女はレジイと云う。

愛し合っている。

以上、
でたらめに本をひらいて、
行きあたりばったり、
その書き出しの一行だけを、
順序不同に並べてみましたが、
どうです。

ほんの一時ひそかに凝った事がある。

服装に凝ったのである。

弘前高等学校一年生の時である。

縞の着物に角帯をしめて歩いたものである。

そして義太夫を習いに、
女師匠のもとへ通ったのである。

けれどもそれは、
ほんの一年間だけの狂態であった。